揺らがない器のために…

もうすぐ我が子の卒園式…

春は別れがあり、そして出逢いがある。
幼い頃から別れの寂しさと成長の喜びを
『卒園』と言う形で一度に味わうこととなる。
『入学』もまた喜びと不安、複雑な思いと共に
新たな一歩を踏み出す。
そうやって私達は出逢いと別れを沢山経験する。

そんな繰り返しの中、これから先の人生において
家族や本当に大切な友達の存在に気付き、
共に助け合い、笑い合い、祈り…
祝福出来る人がいる事と
それが出来る幸せの意味を
知って行くのかも知れません。

私達が人間と言う器なら、様々な経験を経てその器は
その人なりの形となり厚みもそれぞれ。
その器に入れるものには限界があり、
全てを溜めておくことは出来ません。
人生と言う長い時間の中で、どんな器になり、
何を入れてきたのか…
時に器から溢れそうになるまで入れてしまったり、
時に何かを入れたくて入れられない状況にもがき、
何を入れたらいいのか迷い悩み苦しむ、そんな時もある。

例え器が小さ過ぎても、大き過ぎても…
大事なのはいつもそこ(底)にあるもの。
いつも器の底にあるもの、
その存在に気付き感謝が出来た時、
きっと私達の器は美しく頑丈なものとなる。
それは器が倒れて溢れないようにする大切な存在。

我が子の成長はここまであっと言う間でした…
この先親として出来る事、それは子供の成長を見守り、
ずっとそこ(底)にあり続けること。
私達大人も、きっとそう見守られて今の器がある。
もしも安定を失い倒れそうになったら
『底』を見つめ直すいい機会なのかも知れません。

家族や友達、周りの大切な人々の想いと共に、
どっしりとした揺るがない器を
皆が持ち続けられます様に…。

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