ヨガの教え(ヨーガスートラ)の中に
MAITRI KANUNA NUDITOPEKSHANAM SUKHA DUHKHA PUNYAPUNYA
VISHAYANAM BHAVANATAS CHITTA PRAASADANAM
「他の幸福を喜び(慈)不幸を憐み(悲)、他の有徳をよろこび(喜)不徳を捨てる(捨)
態度を培うことによって、心は乱れなき静澄を保つ。」
そんな言葉があります。
個人の在り方は「幸福」「不幸」「有徳」「不徳」
そして、人間にとってこの個人の在り方への向き合い方として
必要な心構えは4つ
①「慈」(友情)
②「悲」(同情)
③「喜」(欣喜)
④「捨」(無関心)
であると…。
人は出来れば心が平和で在りたいと願う…
心が揺れ動いたり、怒りや憎しみが湧いてきたり
自分にとって不快な感情は早く手放したいと
平安でいれる方法を探す。
いつも乱れなき静澄がある人なら
「心穏やかでいたい」と言う欲求も湧いてこない。
もしも自分の心の中に
こんな「穏やかでいたい」と言う願いが生まれてきたら。
その願いの裏には心の不快感がある事を認める必要がありそうです。
教えのなかにある
「他人の幸せを喜ぶ」(慈)において…
情報が簡単に入る時代ゆえに
他人の幸せを目にすること、耳にすることが多い。
その幸せをどう受け取るのか?
そこで自分の心が揺らぎ、「嫉妬」「妬み」が芽生えると
苦しむのは幸福な相手ではなく、自分自身の心のみ。
自分のことのように喜び祝福すること…
そこに心の平和が生まれ
それが自分を幸福へと導く方法だと言われています。
他人の幸せに限らず、身近な人の幸せも
それが「羨ましい」気持ちになった時、
自分の心は平安から遠ざかり始める。
羨ましさの中にあるものが、自分にとって本当に必要な事なのか
本当に望んでいることなのか、何を羨ましいと感じているのか
そこを受け取ることが出来なければ…
例え他人と同じようなものを手に入れても幸せにはなれない。
他人の幸せを祝福し、自分の心が平安になった時…
自分が本当に手に入れたいものが見えてくる。
乱れた心では決して見えないもの。
「他人の幸せを喜ぶ」
それは簡単なようで難しい
難しいようで簡単なこと。
いつの時代もこんな風に、心の乱れが起こり
不快感と向き合うこととなる。
心の乱れを平安へと導けるように
生まれてきた数々の教えが今世の私たちにも語りかける。
ヨガを行っている人は美しい
そんな風に雑誌で取り上げられてるのを最近は頻繁に目にします。
ヨガがそんな風に言われているのは、
今の自分に何が必要なのかを心で感じ
自分の中にあるヨガに気付けた人に与えられる
輝きや美しさを手に入れた人が増えたからかも知れません。
ただヨガを行うのではなく
自分にとって今直ぐに必要なのは、
心身の癒しなのか活性化なのか…
それとも、それを知る、気付けるゆとりの時間なのか…
美しさを手に入れた人を素直に祝福できず
羨む気持ちが湧いてきたら
まずは自分にとって心地よい方向を知り
自分の望むものを手にする…
そこでやっと「自分なりの幸せ」に気付く事ができるはず。
それを一番最初に祝福するのはきっと…
他人ではなく自分自身なのかも知れませんね。
「4つの心構え」
人生を輝かせる4つの鍵
閉まっている心の扉に気付いたら…
鍵を使い心の扉を開けてみませんか?
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