絵本って不思議です。
幼い頃に読んだお話も、大人になって読んでみると
まるで違った感覚で心にじんわりと内容が染み入ることがある。
私にとって「ビロードうさぎ」もその一つ。
これは、人間の坊やとボロボロになるまで可愛がられた
一匹のうさぎ(ぬいぐるみ)のお話。
クリスマスの朝、坊やのプレゼントとして他の物と一緒に靴下に入れられていた、ビロードで出来たうさぎのぬいぐるみ。うさぎは自分が何を見本にして作られたのか、うさぎという生き物がいることさえ知りませんでした。ある日、子供部屋でうさぎはロボットのおもちゃから「自分こそ本物だ」「本物そっくりのロボットだ」と自慢されてしまいます。ただのビロードで出来たうさぎは自分が恥ずかしくなり、部屋の隅っこで小さくなっていました。すると優しい馬のおもちゃから「本物」について話を聞かされます。「本物というのはね、長い間に子供の本当の友達になったおもちゃがなるものだ。 本物というのは、ただ遊ぶだけじゃなく、心から大切に、大事に思われたおもちゃは本当のものになる」と言いました。うさぎはそれを聞いて、いつの日かその「本物のうさぎ」に自分もなれたらいいなとワクワクします。
うさぎは坊やといつも一緒。家の中でも外でも遊んでもらい、だんだんと汚れていきます。ある日、ばあやが坊やに言います「こんな汚いぬいぐるみのおもちゃ、一体どこがいいんだろ?」と言うと、坊やはすかさず「この子はただのおもちゃなんかじゃないよ。僕にとっては本物のうさぎなんだよ。」と言い、それを聞いていたビロードうさぎはその言葉に喜び、ついに本物になれたと信じました。
ところがある日、草むらで本物(動物)のうさぎたちと出会い「こいつは本物のうさぎじゃないぞ」とからかわれてしまいます。「本物のうさぎじゃないって?」 不安と悔しさを感じつつも、坊やの言葉を信じ、ビロードのうさぎは本物だと思い続けます。それだけで幸せでした。
そんなある日、坊やが病気になります。病気が治り、またいつもと同じように遊べると思っていたら、お医者さんからまた同じような病気にならないように、汚いぬいぐるみやおもちゃを捨てるように言われてしまいます。坊やと突然の別れ。
すると、捨てられ悲しむうさぎの前に突然妖精が現れました。「あなたは本物のうさぎではありません。本物のうさぎにしてあげましょう」と言いますが、うさぎは「今でも本当のウサギだよ」と言います。しかし妖精は「ええ、坊やにとってはそうでしたよ。本当にあなたを愛していましたから。でもこれからはあなたを誰もが本当のうさぎに見えるようにしてあげます。」と言われ、魔法で「本物(動物)」のうさぎに変えてもらうことが出来ました。
季節はめぐり、ある時動物になったうさぎが坊やの前に現れました。ところが坊やは「あのうさぎ、僕の古いうさぎにそっくりだ」と思うだけで、あのうさぎが坊やに会いに来たのだということを、坊やは少しも気がつきませんでした。
坊やにとって大切な本物の友達であり本物のうさぎとなったビロードうさぎ。
それだけで幸せだったのですが、最後には動物のうさぎになってしまいます。
さて、皆さんは自分が何なのか、
何の「本物」なのかを考えたりしますか?
もしくは何かの「本物」を目指していたり?
ちなみに私は、ヨガ講師です。
ヨガだけではありませんが、クーリアではヨガ指導が中心となります。
「本物なの?」と聞かれたら「どうかなあ?」と笑いながら答えるでしょう。
(そんなこと聞かれませんけどねw)
「ヨガとは何なのか?」は自分なりにいつも向き合いますが、
「ヨガ講師とは?」「本物とは?」
つまり「ヨガ講師の本物」に拘りはありません。
もしも自分が「ヨガ講師の本物」に拘ってしまったら、本物とは何かを追求したり、
本物になることを求めてヨガ発祥のインド山奥で修行していたかも知れません。
例えば「ヨガ講師の本物認定」なるものがあるのなら、
その肩書き欲しさにエネルギーを注いでいたかも知れません。
そもそも「本物」って何なのでしょうか?
お話しの中で馬が話していた
「本物というのはね、長い間に子供の本当の友達になったおもちゃがなるものだ。
本物というのは、ただ遊ぶだけじゃなく、
心から大切に、大事に思われたおもちゃは本当のものになる」
というセリフが心に響き、ここに大切なメッセージがあると私は感じています。
「ヨガ講師の本物」って何だろう?
本物になったら何が変わるのだろう?
私の元には日々レッスンに来て下さる生徒さんたちが沢山いる。
もうそれだけで十分だし、
一緒に過ごす時間を大切に感じて貰えたら素敵です。
私の場合、講師でも一児の母親としてでも
お話の中のロボットのように
「私は本物だ」と自慢する人間には成りたくない。
妖精の「これからは誰もがあなたを本当のうさぎに見えるようにしてあげます。」という魔法。
これも正直、私なら望みません。
誰からも「
本物」に見えることよりも、一人一人と心で通じ合い、
肩書きではなく、
大勢でもなく、たった一人でも「この人は自分の人生にとって大切な人」と感じ、
自分の存在価値を認め愛してくれたら本当に幸せなことです。
仕事でもプライベートでもそれは同じこと。
自分が自分に納得できることをして
自分を必要だと思ってくれる人がいれば
そんな立派な外見は必要ない。
ビロードうさぎの絵本は読んだ後
人それぞれに様々な捉え方があるようです。
〜あのうさぎが坊やに会いに来たのだということを
坊やは少しも気がつきませんでした。〜
と、終わるところはハッピーエンドだと感じる方もいれば
寂しい終わり方と感じる方も。
私はその時々で感じたままに、心に何かしら気付きが生まれたら
それは自分にとって大切な一冊の「本物の絵本」だと思っています。
その大切な絵本を子供や家族に渡したり
大人の大切な人に渡したり
「ビロードうさぎ」の絵本が
ぬいぐるみのうさぎのように例えボロボロになったとしても
この先も大切にしながら周りの沢山の人の手に渡して行こうと思います。
本物って何?
大人になり、そんな疑問を抱いた時に読んで欲しいなと思う一冊の絵本。
誰かの本物になれたなら
誰もが本物だと思ってもらわなくてもいい。
あなたは誰の本物ですか?
誰を、何を本物(大切)だと思いますか?