『8月6日』

今日の朝、テレビを点けたら『原爆死没者慰霊式・平和祈念式(平和記念式典)』が放映されていました。「ああそんな時期か・・・」と思い、しばらく観ていた私です。

この時期になるとテレビでも戦争に関するドラマや映画が流れ、あの日の事を忘れないようにと訴えかけられます。
戦争は本当に無駄だと、平和な世の中にと人々は願い、それでも戦争は繰り返されます。大なり小なり今子の瞬間も戦争の真っ只中と言う国もあるのが現状。誰だって平和がいい。平和でありたいと願うのが本来の姿。

でも・・・人間には「もっと向上したい。改善したい。変わりたい。変えたい。」と言う気持ちがいつも心のどこかにあって、その方向性は人それぞれ。その方向性の違いから摩擦が起き、喧嘩・言い争いに繋がってゆきます。そしてお互いが納得できる方向へと進路を変え一緒に進んでゆく。もしくは別々の方向を選ぶ。そしてまた争う。

一本の『木』があり、初めは根を張り一本の幹が伸びてゆく。しばらくするとそこから少しずつ枝分かれをし始め、四方八方に伸びてゆく。その枝が多すぎて時にバランスを崩すと根元からバッタリ。全ての枝もろとも一緒に倒れてしまいます。戦争は私にとってこんなイメージ。元々は『平和』と言う同じ意識のもと、助け合い、お互いを尊重し合う気持ちがあるのですが、誰かが違う方向に枝を伸ばし、そしてまた誰かが枝を伸ばし太い幹のエネルギーを奪い合う。倒れて・・・また一緒に根を張り幹を伸ばし、そしていつしかまた元もとの想いを忘れて争いあう。悲しいけれどそれが人間。

では、全く争いのない世の中がいいのでしょうか?
私は答えに迷います。人は時にぶつかり合い、意見し、自分の意志をきちんと伝え、より良い関係を築き上げる。それも必要だと思うのです。
いつでも『NO』と言わない『YES』だけの繰り返しで相手が心地よくなるかと言うと、それは違います。その繰り返しが相手の心に負担をかける場合もあるのです。大切なのは自分の意見も伝え、相手の意見も聞き、お互いがより良い環境になるためにお互いを思いやり話し合う。コミュニケーションをしっかり取ってゆくこと。その先に新しい道が開けると思うのです。

言い争いをしている最中や、その直後は不快感を感じることもあるでしょう。でも、そんな環境があることへ感謝し、相手との関係を修復する。全く意見の食い違った相手だからこそ、自分とは違う光り輝くものを心に持っているはずです。相手を受け入れ自分とは違う素敵な要素を一緒にし、大きく発展させる。争いは全てを失う事ではなく、『向上・改善・より良い変化』へと繋がるのです。

残念ながら、意見ではなく、暴力と言う形で収めてしまう喧嘩。戒めのような醜いやり方で改革しようとする人々。それが大きくなったものがテロ行為や戦争。全く関係の無い人々まで巻き込み、戒めとされる出来事。これほど悲しいことはありません。関係なく命を落としてしまった人々は、生きている私達にどんな役割としてこの世に生まれてきてくださったのか・・・。全てのことに意味があるのだとしたら、私達はどんなメッセージを受け取り、日々どんな行動・行いをすべきなのか。

私達人間はより良い未来のために、時に変化し向上してゆかなければなりません。出来れば争いはなくしたい。それでも変化には時に争いは避けて通れません。周りの人を傷つけ自分だけ暴走するのではなく、コミュニケーションを取りながら一緒に向上し、変化を受け入れてゆく。一人一人が改めてその意識を強めること。

辞書などで『平和』の反対語を調べると『戦争』と出てきます。
出来れば『戦争』と言う言葉はなくしたい。
せめて『平和』の反対が『言い争い』となれるように・・・。

もちろん、言葉でも人は傷つきます。心無い一言で・・・。
自分自身の気持ちを表現する時、しっかりと責任を持つ。
うっかり発してしまった『心無い一言』や不満を溜め込み一気に爆発してしまった『ひどい言葉』も、後からだっていい、『ごめんなさい』と言える勇気を。小さな争いも、大きな争いも、元々は誰かの心にあった小さな不満。『言い争い』が発展し悲しい出来事を引き起こす。
『言い争い』が大きく発展する前に、小さな不満に思いやりの気持ちを乗せて相手に伝えてみる。そんな広い心と沢山のコミュニケーションを忘れずに・・・。

過去に起きた戦争が、現代の私達に『平和』の意識を強め、そしてこの先も『平和』であることに感謝できるような世の中でありますように。
皆さんは毎年訪れるこの時期に何を想いますか?

★本日は『親子ヨガセラピー』のクラスです。
子供達の明るい未来のために・・・私達大人が出来る事は?
今日も沢山の笑顔を届けられますように。頑張ります!!

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